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2016-05-02 人生は二毛作?

 「四十にして惑わず」とあるが、何に対して惑わされなければいいのだろうか?明確な答えは持ち合わせていないが、どこかで読んだ記事によると、かなりお歳を召された方々へ「人生において何をいちばん後悔していますか?」と問うたところ、大多数の方が「もっと冒険していればよかった」と答えられたそうです。そう、冒険とまではいかなくても、なにかわくわくするようなことが今ないために、また人生の最後でもやはり同じ後悔のような答えをだしてしまいそうと心の奥からの声に惑っているのではと思う。

 

 今、人生における方向性を見失っているようだ。外山滋比古氏の「50代から始める知的生活術」に提唱されている「人生二毛作」ように、40代から2回目の作つけの仕込みの種を考える時ではないかと。

 

 孔子の生きた時代は、80歳まで生きているひとはほとんどいなかったのではと思うが、現代の日本では約半数のひとがそこまで生きている。このため、五十にして知る天命と2回目の作つけの種とは意味合いが異なっているのではと思うが、大学時代の数年間の勉強だけで当時はその道しかなくこれで生きると考えていまの職に就いたのとは違い(別に今の仕事から離れたいなどではなく、サラリーマンである以上、有期のものであるからである)、これまでの経験を踏まえてこれから長い時間をかけて熟考した上の2回目の作つけの種は、天命とはいかなくてもこれに近いものにしたいものである。

 

 そいでは。